中央アルプス

8中ア南北縦断 

木曽駒ケ岳〜空木岳〜越百山 1989-9-22〜25

中央アルプスの主脈縦走に出かけた。日本海の輪島沖に前線を伴なった低気圧の現地通過でシュラフを濡らしてしまう

1989/09/22 (金)
木曽駒山荘(8:00)→七合目避難小屋(11:00)→駒ケ岳(13:00)→頂上山荘(13:10)・幕営
 中央アルプスの主脈縦走に出かけた。スタートを木曽駒ケ岳の北側にある木曽駒山荘とし南側を越百山にした。
 初日から天気が悪い。七合目避難小屋を過ぎ玉ノ窪小屋にさしかかった頃から雨が降ってきた。霧も出てきて風もある。駒ケ岳山頂に立ったが霧と風雨でなにも見えない。頂上山荘脇のキャンプ地で幕営する。木曽駒ケ岳付近から台風の収まった朝方の眺め
 風雨だったので雨を避けようと小屋の脇にある物置の中に天幕を張ろうとしたが、近くにドラム缶がある。火気を使うので止めた。幕営地の風上に石を積み上げ風除けを作り天幕を張った。
 幕営地から20分ほど下った所に湧水が流れ出ていた。天幕に入り遅い昼食を取り一息つく、外は風雨がだんだん強まってくる。4時に天気図をとって驚いた。日本海の輪島沖に前線を伴なった
1010HPの低気圧があるではないか。それも進路が東に進んでいて今夜、中央アの上空を通過するようだ。慌てた、天幕を小屋の風下に移そうか思案した。しかし、風雨は既に強まっている。天幕を移動するするのは一苦労だ。外に出て風除けの石をさらに高く積み上げ補強した。
 晩酌をすませ早めにシュラフにもぐり込む。シュラフカバーは持っていなかったので大型のビニール袋を開きシュラフの上にかぶせ雨漏りの対策をして眠る。
 目が覚めると風は弱まっていた。ホッとし起き上がった瞬間、かぶせておいたビニール袋に溜まっていた雨水がシュラフに漏れ濡らしてしまう、ズボンまでしみてきた。しまったと思ったがもう遅い。外に出て見ると昨夜の強風でフライの片隅が天幕から外れている。これで雨漏りしたようだ。

23日(土)曇のち晴
頂上山荘(6:00)→宝剣岳(6:40)→檜尾岳(9:20)→熊沢岳(10:30)→木曽殿山荘(12:00)・発(12:15)→空木岳(13:30)→駒峰ヒュッテ(14:00宝剣岳から付近の眺め
 濡れたシュラフをビニール袋に詰めザックにしまう。心なしかザックが思い。宝剣岳山頂の高いオリベスクに立ち山望する。山の頂きには雲が垂れこめているが、これから進む先の稜線は見える。方向を確認し、檜尾岳に向かって下降する。
 檜尾岳から木曽殿乗越の間はお花畑がある。ウサギキク、ミヤマアキノキリンソウやチングルマの群生がありチングルマの穂先の毛が風に揺れている。
 今日は空木避難小屋泊の予定だったがシュラフが使えない。駒峰ヒュッテに変更する。ここは水場がないので木曽殿山荘から少し下った水場で3リッターの水をザックに付ける。この水場は岩肌に染み出る細いもので汲むのに時間がかかった。
 空木岳で山望を楽しみ駒峰ヒュッテに向かう。シュラフを出して外に干すが、夕方まで乾くことはなかった。ヒュッテの毛布を使わせてもらう。

24日(日)快晴
駒峰ヒュッテ(5:50)→空木岳(6:10)→南駒ケ岳(7:40)・発(9:00)→越百山(10:00)・発(10:30)→南越百山往復(10:45)・発(11:00)→越百山(11:20)→越百避難小屋(11:45
 昨日までの悪天を吹き飛ばすような快晴となった。ヒュッテを出て空木岳で朝焼けを見る。既に太陽は山の稜線の上だ。朝日に輝く駒ケ岳やこれから行く南駒ケ岳方面の山並みの展望を楽しみ先に進む。空木岳付近から南木曽駒ケ岳方向を眺める
 稜線の登山道脇にはウスユキソウも咲いている。太陽も高くなり暑くなってきたので防寒に着ていたカッパを脱いでいると後ろから足音がし「見て、見て!」と女の声がする。何のことかと顔を上げると西側の谷間にブロッケンが出ている。すぐカメラを出し撮影した。彼女もカメラを持って「どうして虹の中に自分の陰が出きるのかなぁ」。と不思議がっている。面白い所に気づくものたと思い、すこし会話する。まだ撮影しているようなので先に進む。しかし、すぐ足音がし後ろについてくる。(といっても進む方向が同じだから自分よがりかも)
 赤椰岳(あかやし)のピークで休むと彼女も一緒に休む。「歩きが速いね」、「そうでもないよ」。そんな会話が続く。南駒ケ岳まで一緒に行く。彼女はそこから北沢尾根を下り須原に行く予定だという。私は木曽駒ケ岳の写真を撮りたかったので、駒ケ岳の頭にかぶっている雲が取れるのを待つ。
 駒ケ岳の撮影を終え越百山に向かう。すると、彼女がまたついて来た。どうしたのか聞くと「北沢尾根を下る人がいないので私の行く越百山経由で須原に下るという。「エーッ!」。私は小屋泊なのに。そこから須原まで6時間もある行程を選ぶとは頼もしいと思い「女子学生か」と聞くと。「イヤ、もう働いていて年もいっている」とふざけた返事。
 越百山で彼女と分かれ南越百山を往復し戻ってくるとそこにまだ彼女がいた。どうしたのか聞くと、山頂で須原から登って来た登山者がいてこの人が車で駅まで送ってくれるというので同行するといい、先に下ったその人をこれから追いかけるのだという。頼もしい人だ。こんな若い女性がわが山岳同好会にも欲しいものだ。大阪で働いていて、昼休みには30分ほど走ってトレーニングをしているといっていた。
 そこから少し下ると避難小屋に着いた。水場は小屋から5分ほど下った所に湧水が出ていた。小屋に戻りシュラフを出して外に干す。だが、夕方になっても湿っぽくて使えない。小屋はわりと新しくきれいで住み心地よい。天井のはりに非常用の箱があり開けてみるとフェルトでできたような毛布があった。これを使わせてもらう。

25日(月)晴
越百避難小屋(4:30)→作業小屋(6:10)・発(6:20)→車止め→下條集落付近(8:30)→須原駅(8:50)→木曽福島→タクシー・木曽駒山荘
 夜明け前に小屋を出発した。小屋前から越百山や南駒ケ岳のシルエットが美しい。ヘッドライトを点けての下山だ。冷たい山の空気が身を引き締める。上の水場あたりで空が明けてきた。この付近から上のコル間は登山道がクマザサに覆われ露で濡れている。カッパのズボンを履き露払いだ。 林道に降り立った所に作業小屋があった。小屋は屋根と周囲をトタン板で囲った掘っ立て小屋で雨露をしのげる程度のものだ。1分ほど下に川が流れていた。これから長い歩きだ。途中、林道に落ちた栗の実を拾ったりし退屈をしのぎながら歩く。8時ごろ歩くのがイヤになり道端で腰を下ろし腹こしらえをする。又歩く。発電所を過ぎた付近で軽トラックが脇に止まり、振り向くと「乗っていけ」という。もう須原駅は近いと思ったがその好意に甘える。駅まで近いと思ったが歩くと1時間ぐらいの距離を走った。大助かりだった。車中で話すと役場の職員で観光課だという。越百小屋のことを話すとその担当だという。「とてもきれいで気持ち良く使わせてもらった」と絶賛すると職員もそのように務めているという。きれいな山小屋は地元の人が努力していることを痛感する。ただ、この職員はまだ越百小屋には行ったことがないといっていた。
 須原駅から中央線に乗り木曽福島駅で降りそこからタクシーで木曽駒山荘に行き車を回収し帰途についた。

 

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