北アルプス

1.北アルプス南北縦断縦走

6-1-(1)海抜ゼロmからの挑戦(1992-7-26〜8-3)

親不知海岸〜白鳥山〜朝日岳〜白馬岳〜唐松岳〜五竜岳〜鹿島槍ヶ岳〜針ノ木岳〜船窪岳〜烏帽子岳

 日本の山、主脈縦走の夢を抱き最大のイベントになりそうな時がきた。夏休みの10日間をフルに活用し北アルプス後立山の全山縦走を試みた。親不知海岸を起点に烏帽子岳までだ。後立山連峰はその先、蓮華岳まで続くと思うが以前、同僚と2人でブナ立尾根を登り穂高連峰を経て前穂高まで縦走したことがある。海抜0mから3,000mへの登りもこだわった。今回の縦走計画を山岳部メンバーに話すと最初は「うん、うん」と賛同はしていたが、一緒に来るものは誰もいなかった。

1992年7月26日(日) 晴
高崎駅(23:20)発(22:42)急行・能登→糸魚川駅(3:34)発(5:10)→親不知駅(5:22)
親不知駅(5:24)徒歩→天嶮親不知登山口(6:25)発(7:00)→シキ割水場(11:10)発(11:30)→白鳥山(12:40)発(13:00)→黄連の水場(15:10)幕営
 高崎駅から急行能登に乗り糸魚川へ、ここで1時間ほどの待ち合わせで次の列車に乗り換え親不知駅に着く。天嶮親不知登山口のある日本海沿岸
 駅を降りたものの登山口がどの方向か検討がつかない。駅の改札も無人でこの時間帯に駅前には人影もない。しかたなく地図と磁石を出して確認する。登山口のある西の方向に進む。間もなく国道8号線に出て日本海を右手にして進むと登山口のある”親不知観光ホテル”が見えてきた。道路脇にザックを下ろしひと休憩、親不知海岸に下った。遊歩道の階段を下り切ったところに小さな石を積み重ねたケルンがあった。日本海から打ち寄せる白い波を見てケルンにタッチして、さあ、後立山の縦走のスタートだ。
 道路に戻りザックを背にする。ザックには10日間の食糧が詰まっている。夏山なので山小屋の利用も考えたが天幕での縦走にこだわった。ザックの上には中に詰めきれなかった荷物がダンボール箱に入りうず高く積み上げられている、その高さは頭の上まである。
 後立山は尾根続きとはいえゼロmからの登りだ。今日は風もなく暑い、歩き始めて額から玉のような汗が流れてくる。最初の入道山を登りきり少し下る。二本松峠から緩い坂を登菊石山山頂、これを下ると間もなく幕営予定地だ。り返すと舗装された車道に出た。これを横切り坂田峠、シキの水場を通り白鳥山に着く。シキの水場は縦走路に沿って流れていて水量は細い。白鳥山には真新しい小屋が建っていて中に入ると木材の匂いがする。昨年、完成したようだ。この山頂は小屋の前面が開けていて見晴らしがよい。糸魚川市の街並みや日本海を一望できる。しかし、空はかすみ気味だ。
 白鳥山から少し下って菊石山の登りにかかるころから背の荷物がだんだんと辛くなってきた。荷物の背が高いから立ち止まってザックをはしょい上げるとバランスが崩れそうだ。菊石山の山頂でひと休みし体調を整える。山頂には平らな石の表面に方向を示すペイントがあった。
 「あと少し!」の気合いを入れザックを背にし下ると間もなく黄連の水場が出てきた。水場の入り口には4張りほどの天幕を張れるスペースがある。今日はここを利用することにした。
 縦走路脇に黄連の水場の表示がありそこから3、4分ほど奥に水場があった。沢水で流量も多く枯れる心配はなさそうだ。

 27日(月) 晴
黄連の水場(5:20)→栂海山荘(6:55)→北又の水場(8:10)→黒岩山(10:00)→朝日岳(14:50)→朝日小屋(16:50)幕営
 幕営地を出発しなだらかな細い登山道を進む。登りが少しきつくなった先にヒョイと栂海山荘が出てきた。宿泊者はいなくガランとしていたが内部は整然と片付けられ5、6人は楽に泊まれそうなところだ。登山道わきに建つ栂海山荘。内部はきれいで整然としていた。小屋の前には囲いの無い仮設の便所があり便器は山の斜面に丸太が2本横に並んでいるだけだ。ここで体調を整えまた少し歩き出すと直ぐに犬ヶ岳の山頂に着いた。そこを下り1時間ほどで北又の水場に着いた。水はコンコンと流れていた。その先のサワガニ山を越えると湿原地帯になっていて左手に文子の池がある。さらに進み黒岩山を越えると分岐がある。
 ここを左に行くと中俣小屋がありこのコースのエスケープルートになっているようだ。コースを右にとり黒岩平に向かう。黒岩平からアヤメ咲く黒岩平のお花畑先は残雪も多く湿原や池塘及びお花畑が点在しアヤメやニッコウキスゲの花が見られ、いっとき疲れを忘れさせてくれた。少し登りになるとそこの頂きは長栂山の一角だ。さらに進むと朝日岳への分岐に着いた。ここでひとまずホッとする。この先はなんどか歩いているなじみの登山道だ。左方向は五輪尾根、ここを右にコースをとり朝日岳へと向かう。
 朝日岳山頂の眺めはいつ見てもよい。まず目に飛び込んでくるのが劔岳だ。それから明日から向かう後立山の山並だ。展望を楽し文子池か?周りはお花畑になっていた。んだあと朝日小屋に向かう。
 小屋の前が幕営地だ。その脇にはまだ残雪が残っていてそこから水が流れ出ている。炊事場の蛇口をひねると勢いよく冷たい水が流れ出た。
 小屋の周辺はお花畑でエゾキザクラ、チングルマ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイと数えきれない。まるで花園のワンダーランドだ。
 設営し小屋でビールを買い求め乾ききった喉に流しこむ「ウメーッ!」。栂海新道は整備されていて予想以上に順調に登れた。キヌガワソウが今盛りと咲いていた。

 

 

 

 

 

 

 28日(火) 晴
朝日小屋(4:50)→巻き道朝日岳分岐(6:25)→雪倉岳(9:05)→三国境→白馬岳(12:10)→白馬頂上宿舎キャンプ地(12:40)幕営ツバメ平付近のお花畑
 昨夜は良く寝た。外に出ると空は満天の星だ。夜明けと共に朝日小屋を出発する。巻き道を雪倉岳に向かう。まだ残雪が多く雪の上に付けてあるベンガラの茶色がルートの目印だ。ツバメ平のお花畑で期待していたコザクラの大群生は見られなかった。でも、木道の上から見ると湿地のあちこちにニッコウキスゲ、コバイケイソウ、フウロウなど数えきれないほどの花に出会った。
 雪倉岳から見る白馬岳の眺めも絶品だ。山頂の眺めをしばらく楽しむ。雪倉岳を下り切った所に避難小屋がある。中を覗くと扉は外れ床は所々抜け落ちていて使えないような状態だ。
 この先、三国境まではお花畑があちこちに群生していて、あれを見たい、これを見たい、と心移りしてちっとも前に進まない感じだ。
 白馬岳の山頂直下までは晴れていて見晴らしも良かったが山頂に着くころになると霧が出てきてまるっきり周りが見えなくなってしまった。しかし、山頂は今までの閑静な情景と一変し老若男女の登山客で賑わっていた。少し休息し、雲行きがおかしいのでのでそそくさに幕営地の頂上宿舎キャンプ場に下る。
 取り急ぎ花畑サイトの静かな所に幕営し、受付をしてビールを買い戻る時には雨交じりの強風になっていた。だんだん雨足も強まる。ちょうど良い時間に今日の行動が終えた。ビールで今日の労働ご苦労さん。9時には眠りに着く。

29日(水) 晴
白馬頂上宿舎キャンプ場(4:30)→杓子岳(5:30)→白馬鑓ヶ岳(6:30)→不帰キレット三峰(10:00)→唐松岳(10:40)発(11:00)→五竜山荘キャンプ地(13:10)
 今日も良く晴れている。良く寝たから気分も絶好調。今日の行程は不帰キレットを越え五竜小屋までだ。
 丸山で劔、立山の眺めを存分に楽しみ先に進む。巻道を避け杓子岳の山頂をしっかり踏みしめ白馬鑓ヶ岳の山頂に着く。ここから眺める白馬岳もなかなか男前だ。ここを下り分岐点で鑓温泉への標識をチラッと見て露天風呂をイメージするが我慢して天狗の頭に向かう。
 キレット越えの岩場は食料も減りザックの上に付けたダンボール箱が無くなったので足取りは軽い。反対方向から来る女子高生の大人数パーティなんか来ると直ぐルートを譲ってしまう。通過するのに結構時間を食ってしまった。
 白岳から見る五竜岳、鹿島槍もなかなか圧巻だ。ここから派生している遠見尾根に下ると鹿島槍ヶ岳がもっと良く見えるかもしれない。いつかトライして見よう。ここを下ると間もなく五竜小屋に着いた。以前来たときより小屋はすっかり変わっていて2棟に増えていてみな立派になっている。あの時は小屋の前の雪渓を下り水を汲んで来た記憶があるが、今はその雪渓は立ち入り禁止になっていて小屋で購入。100円/1リットル、3リットル買った。
 幕営地は小屋の南側にあり五竜、唐松の眺めが良い、大満足。のんびりしていると再び、山岳部で白馬岳から鹿島槍ヶ岳を縦走したことを思い出す。その時は天幕無し、シュラフ無しの軽量登山と称しこのルートを歩いていた。しかし、今回は、天幕、シュラフ有りでの縦走が出きる。これは装備が軽くなったおかげだろう、と感謝する。

30日(木) 晴
五竜山荘キャンプ地(4:30)→五竜岳(5:20)→八峰キレット(8:25)→鹿島槍北峰(10:00)→鹿島槍南峰(10:40)発(11:20)→冷池山荘(12:15)→爺ヶ岳(12:35)種池山荘キャンプ地(14:30)
 今日の行程は八峰キレットを越え鹿島槍を経て種池山荘までだ。五竜岳山頂でこれから進む八峰キレットや鹿島槍のルートを確認し八峰キレットに下る。きょうで5日目だ。食料が減ってきてザックが少し鹿島槍ヶ岳の眺め 五竜岳山頂付近から。づつ軽くなる。初日は大分肩に食い込んだザックも扱いやすくなって来た。岩場や梯子を通過するのにそんなに苦にならない。
 鹿島槍の北峰にも立ち寄る。こちらのピークはあんまり人気が無いようで山頂には1本の枝木が石に支えられて建っているだけだった。時間もあるので荷を下ろし天狗尾根を少し下って見る。戻って南峰に向かう。
 鹿島槍ヶ岳も数年ぶりだ。最初に登ったのは山岳部の冬期合宿のため秋から偵察山行や荷揚げのため数回登っている。ここで大休憩をとる。劔、立山の展望を充分に楽しみ山頂を後にする。
 種池山荘の前にはまだ残雪がある。幕営地は木立に囲まれた展望のきかないところだ。

 

31日(金) 晴
種池山荘キャンプ地(4:30)→新越(6:00)→鳴沢岳(7:00)→針ノ木岳(10:40)発(11:00)針ノ木峠幕営地(11:30)幕営
 岩小屋沢岳から新越の間はお花畑だ。クルマユリ、フウロウなど群生している。
 スバリ岳を過ぎ針ノ木岳の登りにかかったとき、白装束にスゲ笠をかぶり腰も曲がり気味の老婆が前を歩いているのが目に入った。追いつくと道を譲ってくれたが、つい話し掛けてしまった。すると、この人は四国から来ていま91才という。昨夜、新腰山荘に泊まり今朝、小屋を出る時に引き返すように小屋の人から勧められたが、どうしても針ノ木岳に登りたくて来たという。でも、足取りも話しぶりもしっかりしている。まるでお遍路さんだ。
 針ノ木岳で展望を楽しみ峠に下る。峠の水は小屋で調達。150円/1リットル。

8月1日(土) 曇
針ノ木峠キャンプ地(5:15)→蓮華岳(6:15)→北葛岳(8:15)→七倉岳(9:50)→船窪キャンプ地(10:20)
 蓮華岳山頂から進路を東に変え下るとその先の瓦礫の斜面にコマクサの広大な群生があった。以前に生まれたばかりの大量のウミガメが群れで海辺に向かって進むビデオを見たことがあるがそんなイメージを連想させた。
 長い蓮華の大下りを終え登り返して北葛岳に立つ。ゴツゴツした痩せ尾根を進むと七倉岳に至る。ここから西に下って船窪キャンプ地に着いた。
 キャンプ地には既にツエルトも含めて3張りの天幕があった。この先に水場のある良い幕営地が無いので今日はここで行動中止。
 キャンプ地から10分ほど下った所に湧水が流れていた。飲むと美味い!。今回の行程の中で一番味がいいような気がした。しかし、この水量では夏場は枯れないのかなぁ。
 時間があるので船窪小屋まで散策。小屋の扉が開く。売店で不足気味の酒を調達しようと思い大声で呼んでも誰も出てこない。不在のようだ。残念、酒をあきらめて天幕に引き返す。

2日(日) 晴
船窪キャンプ地(4:45)→船窪乗越(5:30)→船窪岳(6:30)→不動岳(8:45)→南沢岳(10:20)→烏帽子岳(8:30)・発(9:00)→烏帽子小屋幕営地(12:00)幕営
 幕営地からさらに下り崩壊した砂地の斜面や平らな登山道を進むと間もなく不動岳だ。ここにもコマクサの群生地があり花の数が実に多い。今回の行程の中で一番見事なコマクサ畑だ。登山道にも咲い終着の烏帽子岳山頂。ていて足を踏みいれるのに気が引けた。コマクサの群生は八ヶ岳でも見ているがこの群生の広さ、花の数はその比ではない。誠に見事だ。決して荒らしてはいけないと思う。
 しかし、このルートは人気が無いのか人通りが無い。船窪キャンプ地から烏帽子岳の間で1人とも出会わなかった。
 ついに、烏帽子岳の山頂に着いた。誰もいない山頂で後立山縦走完走の歓喜の雄たけびを上げる「ウオーッ、ヤッター」。しばらく山頂で大休息。山頂の平らな大岩の上で仰向けに寝転び今日までのルートを振り返る。
 しばらくすると年配の夫婦が登ってきた。今回のルートをメモした紙を持って記念写真を取ってもらった。
 烏帽子小屋幕営地に設営しここに来る手前100mにあった雪渓の雪解け水を汲みに戻る。コップですくいポリタンに移す。ザックに入れて持ち帰ったが栓の具合が悪かったのかザックの中が水浸しになってしまった。
 小屋でビールを買い残っている全ての食糧と酒で後立山全山縦走完走と49歳の誕生日を祝う。ラジオのスピーカーからはバルセロナオリンピックで岩崎恭子が金メタルを獲得し「今まで生きている中で一番幸せです」を報じていた。

3日(月) 晴
烏帽子小屋幕営地(5:00)→高瀬ダム(7:00)→七倉(9:00)バス→大町駅(10:52)・発(11:52)→松本駅(12:37)・発(12:58)→篠ノ井駅(14:09)特急・あさま22号(14:27)→高崎駅(16:05)
あさま特急券:1,750円
 今日が北ア・南北縦断縦走のパート1の最終日だ。気を引き締めて下ろう。背のザックも妊婦が出産した後のお腹のようにペチャンコになった。あんなにうず高く積まれた食糧も今日の昼の分だけになった。サブザックの装いと同じようなものだ。足取りも軽い。フト思う、まるで食糧が減って行くのが一番の楽しみだった山行のような気がする。朝のブナ立て尾根を下る。尾根の終わりごろになると今日の一番の登山者が登ってくるのと出会う。この急なブナ立尾根の登りに玉の汗が流れている。「おはようございます」。返ってくる返事も荒い吐息まじりだ。初日の親不知海岸からの登りを思い出す。登りは本当にご苦労さん。
 七倉に着きバスの待ち時間にバス停前の食堂で山行終了のビールを所望した。

 

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6-1-(2)裏銀座コース(1969-9-20〜24)

「ブナ立て尾根」はアルプス三大登りのひとつに数えられるほどの急坂だ

19年9月20日(土) 晴
新宿→松本→信濃大町→七倉・発(14:00)濁沢出会(17:00)・濁小屋休憩所・泊
 ガイドブックを見て表銀座コースに対し裏銀座コースがあるのを知った。行ってみたいと思っていた。9月の5日連休に山岳部の仲間2人で出かけた。 交通の便が悪く登山口の七倉を出発したのが午後2時となってしまった。
 出発して間もなく東電の林用軌道の上を歩く。枕木が邪魔になり歩調が合わず歩きづらい。日が陰り始めたころ濁沢出会いに着く。濁小屋休憩舎で泊り。泊といっても今回は軽量化のため、テントも無ければシュラフもなし、そのまま床に寝ころぶだけだ。

21日(日) 晴
濁沢出会(5:00)→烏帽子小屋(11:00)→三ッ石岳(13:00)→野口五郎小屋(15:00)・泊
 日の出前に出発する。今日のブナ立て尾根は別名「アゴ出し尾根」といわれている急坂の連続だ。2人とも無言で高度を上げる。展望の無い林の中を進む。所々、右手に深く切れた谷底が見える。ハイマツ帯が出始めてしばらくすると烏帽子小屋に着いた。烏帽子岳には時間の制限もあるので寄らずに先に進む。三ツ岳を越え間もなく、野口五郎小屋に着いた。

22日(月) 晴
野口五郎小屋(5:00)→真砂岳(6:00)→水晶小屋(8:00)→水晶岳・往復・発(9:00)→鷲羽岳(11:00)→三俣蓮華岳(12:00)→双六キャンプ地((15:00)・泊水晶岳山頂 霧で展望なし
 夜明けごろ出発する。朝食も食わずに歩きだした身体は少しづつ温かさを取り戻してきた。真砂岳を過ぎた付近で休憩をとり朝食を食う。朝食と言ったって大したものは無い。コッペパンとチーズだけだ。味なんて感じていられない。ふと見ると右斜面に残雪が見える。ナイフとコッヘルを持って行き雪を回収。持ってきた粉末ジュースの元を振りかけ食べてみる。火照った身体の食道を伝って冷たい氷が胃袋に落ちていく感触がいい。ウーン!うまい。
 水晶小屋分岐でルートを右にとり水晶岳に向かう。山頂は雲に覆われ展望なし。黒い地面に水晶でも転がっているかと付近を探してみるが見つからない。あるわけないよなぁ。下山する。鷲羽岳山頂からはこれから行く槍ヶ岳の眺めがいい。眼下には鷲羽池も見える。先に進む。三俣蓮華岳を経て双六キャンプ地に着く。
 今夜の宿泊先を探す。あった!頃合いの窪地にハイマツがある。早めに夕食を済ませハイマツの下に潜り込み、持っている全てを着こみ寝る。全ての着るものと言ったってセーター1枚とビニールカッパ上下だけだ。2人並んでその上にツェルトをはおるだけ。日の落ちない温かい時間帯に眠っておくのがコツだ。夜中の12時過ぎると寒さが身にしみてくる。弱音を吐けば後で相棒に劣勢をとる。模様しもないコキジに立ち、あちこち歩き回り身体を温める。

23日(火) 晴
双六キャンプ地(3:00)→千丈沢乗越(7:00)→槍ヶ岳(9:00)→南岳(12:00)→北穂高岳(15:00)→奥穂高山荘(17:00)・泊鷲羽岳(左)と野口五郎岳方面の眺め 双六岳付近から
 今日の行程は長い。朝、いや、夜の3時に出発する。千丈沢乗越の手前で日の出を迎えた。太陽の光を浴びると温かさが戻ってくる。陽のあたる所で前方に見える北鎌尾根の猛々しい峻峰を眺めながら朝食を食む。 腹こしらえを終え、西鎌尾根の最後の登りにつく。山頂の岩峰の豪快さを眺めながらつづら折りの登りを進む。
 槍の穂先は以前にも登っているので中止する。相棒がここから上高地へ下ると言うのでここで別れる。確かにこの先、随分と長いなぁ。歩を進める。南岳から大キレット越えだ。このルートは以前に歩いたことがあるので心配はない。
 岩尾根ルートを通過し涸沢岳を下るころにはヘトヘトになっていた。小屋で水を買う。三ツ矢サイダーの空きビン1本分。登山道の窪んだ平らな所に寝ころびツェルトをかぶると寝込んでしまった。



 

槍ヶ岳と北鎌尾根 双六岳付近から 

 

 

 

 

 

24日(水) 晴
奥穂高山荘(5:00)→紀美子平(7:00)→前穂高岳・往復・発(8:00)→岳沢ヒュッテ(10:30)→上高地(11:00)前穂高岳と北尾根 涸沢岳付近から
 昨夜はよく寝た。寒さで目が覚めると出発の時刻になっていた。奥穂高岳の山頂を踏み、前穂に向かう。しかし、今日は歩調が良くない。後発の人に追い越されてしまった。
 前穂高岳のピークをピストンし重太郎新道を上高地に下る。このルートは急斜面だ。疲れた足につらい。周りの立木に捕まりながらやっと岳沢に下った。昨日の強硬行程がきいたのかも知れない。帰路につく。

 

 

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 6-1-(3)西鎌尾根から穂高連峰(1990-9-22〜26)

笠ヶ岳〜双六岳〜槍ヶ岳〜奥穂高岳〜西穂高果岳〜焼岳。

  北アルププス主脈縦走の第3弾として新穂高温泉の槍見に車を置いて笠ヶ岳に登り双六岳、槍ヶ岳を経て穂高連峰を通り焼岳に行きそこから槍見に下る山行を計画した。このルートは穂高連峰の実によい展望台だ。

1990年9月22日(土) 晴
新穂高温泉・槍見(6:00)発(7:00)→雷鳥岩(10:30)→笠ヶ岳→笠ヶ岳キャンプ地(14:30)幕営烏帽子岩 笠ヶ岳の登り途中
 笠ヶ岳は槍見からクリヤ谷沿いに樹林帯の急登が続くきつい登りだ。5日間の食糧を詰めたザックの重さは容赦なく肩に食い込む。あえぎながら登るとクリヤ谷の頭に着いた。
 ここから先は尾根歩きで登りはいくらか緩くなる、また、展望もきく。笠ヶ岳の山頂で休む。北側にはこの夏に行った黒部五郎岳が見え三俣蓮華の間にどっしりと居座る薬師岳が印象的だ。その頂きには雲がかかっていて展望はもう一歩。明日に期待しよう。
 山頂から少し北に下った所に笠ヶ岳山荘がありその下のキャンプ地で幕営した。キャンプ地の脇にある水場は涸れていた。そこからさらに下った湿地帯には水が流れているようだが遠いので諦めて山荘から天水をもらう。しかし、山荘の屋根のペンキを塗り替えたと言っていたが水はペンキ臭い。でも、我慢して使った。今日は眠い、早めに寝る。午後6時半に消灯。

23日(日) 晴
笠ヶ岳キャンプ地(5:00)→笠新道分岐(6:00)→弓折岳(8:20)→双六小屋(9:30)→双六岳往復(10:30)→双六小屋・発(11:15)→仙丈沢乗越(14:00)→槍ヶ岳山荘キャンプ地(15:50)幕営→槍ヶ岳山頂往復→BC(17:00)笠ヶ岳を振り返り見する
 今日は快晴だ。だが寒い。槍ヶ岳から穂高連峰の山並みが朝日に輝いている。眺めていると時間が過ぎるのを忘れる。そんなにゆっくりはしていられない。今日の行程は13時間の強行スケジュールだ。水場のある幕営地を考えるとこうなった。大まかに双六小屋に9時、双六岳を往復し小屋発11時、槍ヶ岳山荘着5時頃と見込んで出発。双六岳付近
 秩父平付近から弓折岳は登山道の高低差もわりと緩い。8時ごろになると寒さも緩み出した。目の前の穂高連峰に目をやるとその美しい大パノラマの眺めに気を取られ歩む足が止まってしまう。また後ろを振り向けば今来た笠ヶ岳が天に向かってそそり立ている様は誠に素晴らしい。このルートは実に穂高連峰の展望台だ。
 双六小屋に着き。双六岳を往復槍ヶ岳方面を望む 双六岳付近からし槍ヶ岳に向かう。仙丈乗越に午後2時に着く。この辺に来ると雲が多くなり吹く風が冷たくなってきた。あとひとふんばりと気合いを入れ急な登りにかかる。しばらくするとヒョッコリと槍の肩に着いた。キャンプ地に設営し槍ヶ岳をピストンした。ここの山荘から購入した水は沢水のように冷たくてうまい。ウイスキーを水割りにして晩酌。

  

 24日(月) 雨
槍ヶ岳山荘キャンプ地(6:00)→北穂高岳(10:00)→奥穂高山荘キャンプ地(12:00)・幕営
 雨降りの穂高連峰のキレット越えとなってしまった。スリップを注意して行動しよう。雨と霧で展望は殆どダメ。南岳まで降りしきる雨の中を歩く。その先のキレット越えは吹き上げる風雨の中を進む。ルートの表示ははっきりしているしここは過去数回通っているのでそれほど心配はない。北穂高小屋のテラスは登山者で一杯だ。そのまま通過し山頂下の風を避けた所で小休憩。そのあと、奥穂高山荘に向かう。
 かなり以前に山仲間と後立山を縦走した時、この奥穂高山荘付近でツエルトビバークした。その時の飲み水はサイダー瓶1本100円だった記憶がある。今回も1りリットル100円で値段は変わっていない。水はポンプ汲み上げで設備が良くなったからか。小屋も立派になった。その時は中に入ると土間で窓はなく薄暗い所だった。水のことにこだわると穂高連峰の縦走路には水場は無く全て小屋で天水か、汲み上げ水を利用させてもらえるので助かる。

25日(火) 曇
奥穂高山荘キャンプ地(6:00)→西穂高岳(10:30)・発(11:30)→独標(12:00)発(12:30)→西穂高山荘キャンプ地(13:00)・幕営奥穂高方面の眺め ジャンダルムから
 朝、3時ごろ目が覚め外に出て見ると昨日と同じくまだ雨が降っていて、周りは霧で何も見えない。これでは西穂高岳への岩場の通過は「しょっぱいなぁ」と思い、白出沢に下ることを決め、気の乗らない朝食をとる。天幕を撤収し出発する頃になると雨が止み、なんとなく空が明るくなってきたような気がする。もう少し様子をみようとしばらく小屋前で待機しているとさらに天気は回復していく。心を決め直し奥穂高岳に向かう。
 奥穂高岳から西穂高岳の区間の岩場は要所要所に白ペンキの目印があった。心配していたルート探しも楽になり一気に元気を取り戻す。ジャンダルムの分岐で一息入れていると、周囲が急に明るくなり一気に山並が顔を出した。ザックからカメラを取り出し付近を撮りまくる。槍ヶ岳からここまで撮影するチャンスがなかった。霧の合間に浮かぶ奥穂高岳は目前に迫り圧巻だ。鋭く天に突きあげている針峰はロバの耳か。足下には上高地に流れ下る梓川の蛇行が美しい。ここで1時間ほど最高の気分に浸る。
 西穂高岳方面を望むと天狗の頭、間ノ岳、赤岩岳と並ぶ。その先に西穂高岳があり遥か離れた所に煙をたなびかせているのが焼岳か。展望を楽しみ先に進む。
 天狗のコルから天狗の頭への登りはいきなり岩壁が頭上に覆いかぶさる鎖場でビックリした。それを過ぎるとその先はまあまあの岩場が続く。
 西穂高岳の山頂からの眺めもなかなかよい。穂高連峰がよく見え槍ヶ岳や肩の小屋も確認できる。

26日(水) 雨
西穂高山荘キャンプ地(6:00)焼岳小屋(8:00)→焼岳登山口(8:20)→焼岳(9:10)発(9:30)→焼岳登山口(10:00)→槍見(12:00)焼け岳と火口湖
 昨夜、寝る時は星が出ていたが朝には雨になっていた。雨の降る中、カッパを着て歩く。雨と草の雫で登山靴の中はもう、びしょ濡れだ。
 焼岳登山口にザックをデポし登山禁止になっていたが焼岳を往復する。踏跡が以外とはっきり付いていて不明瞭な所には大きな石の上に小さいケルンの目印がある。ここを登っている人も多いような気がする。
 山頂には細い枝木が石に支えられ立っていた。脇の火口からは今も噴煙が出ている。引き返し槍見に下る。車の置いてある所に着き今回の山行は終了した。キャンプ場の露天風呂に入り雨に濡れた身体を温める。そのあと、帰路についた。
 家に帰りビックリした。次の朝、高山の警察から電話があり、車を置いていた近くの住民からの問い合わせで確認の連絡だという。「無事に下山し、昨夜家に帰った」と伝えたら、それでよいと言っていた。別に駐車違反とか苦情ではないと言う。

 

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2.槍ヶ岳界隈

 6-2-(1)表銀座コースと常念山脈(1992-9-10〜15)

餓鬼岳〜燕岳〜常念岳〜蝶ヶ岳〜大滝山〜徳本峠

 燕岳の北にある餓鬼岳から大天井岳を経て蝶ヶ岳に行きそこから大滝山を経て徳本峠に至るあまり人通りの少ないところを歩いてみた。写真は別の山行きのものを掲載した。

1992年9月10日(木) 雨
白沢堰堤(7:00)→大凪山(おおなぎ)(11:30)→餓鬼岳小屋(13:30)・幕営→餓鬼岳往復
 国道147号の沓掛の付近から餓鬼岳の登山口に通じる道にはいる。白沢堰堤に車を置き餓鬼岳の登りにかかる。
 今日の天気は良くない。台風17号が接近している生憎の天気だ。途中の魚止の滝で撮影中に足場が滑り滝壷にはまってしまった。そのときカメラを水の中に入れてしまい初日から使えなくなってしまった。そこから少し登った水場付近に差しかかった頃からポツポツと雨が落ちてきた。
 少し登ると登山道の下草を刈っている人に出会った。これが終わったら上の小屋まで荷揚げするという。小屋に着いたら管理人に伝えてくれという。「途中で下草刈りしていた」と。
 幕営地前に小屋があり寄って先に幕営届けをする。小屋に入ってビックリした。小屋の管理人は50歳前後の顔が黒く焼けた女性だった。少し会話したが山にはあまり興味がないらしい。また、人生にくたびれたような魅力のない女だった。
 水を3リットル買う。その時一升ますで測ってポリタンに移したのにはこれまた驚き、目盛りのついた容器にそんなことをすることもないのになぁ。管理人と話していると山頂に着いた喜びも半減するようなブルーな気持ちになってしまい、そそくさに小屋を出て天幕を張り中にもぐりこんだ。
 ひと休みし、雨の晴れ間を縫って餓鬼岳の山頂に行ってみたが霧で何も見えない。この先の唐沢岳まで行ってみようと考えていたが、視界がなくてはつまらないので止めた。

11日(金) 曇時々雨
餓鬼岳小屋幕営地(5:00)→東沢岳の分岐(7:30)→東沢乗越(8:20)→燕岳(10:40)→燕山荘(11:05)発(11:30)→切通岩→大天荘(13:50)・幕営
 雨は上がって霧もないが空は雲っている。しかし、吹く風は冷たい。手が冷たいので軍手を着けて歩く。しばらく歩くとルートは稜線から外れ剣ズリの高瀬ダム側を通る潅木の巻き道となった。ダムから吹き上げる冷たい風の中をさらに進むと再び稜線の登山道となった。
 その先、東沢乗越となり左手に中房温泉に下る道が分岐する。そのまま南西方向の登山道に導かれ進むと燕岳山頂に着いた。山頂の眺めは曇っていて良くない。休んだ後山荘に向かって下る。
 燕岳に差しかかる付近から山の様相がガラリと変わった。まず山全体が明るく感じるし、登山道が歩きやすい。これは花崗岩のせいか。それに増して登山者の数が多い。やはり、表銀座通りだ。
 大天井岳への切通岩を慎重に登り、巻き道経由で大天荘に着いた。山荘で幕営届けをする。今年は水不足だから2リットル/1人までという。困ったな、自分はいつも3リットル使うんだがなぁ、と思いながらポリタンを渡して水を入れてもらう。でも、ビックリ、返ってきたポリタンには4リットルも入っていた。受付の娘はアルバイトで目分量が分からないのか、それとも缶ビール2本買ったサービスか。昨日の餓鬼岳小屋の女とは大違いだ。

12日(土) 晴
BC→大天井岳往復→大天荘幕営地(5:50)→常念岳(9:20)発(10:15)→蝶ヶ岳山頂(12:45)発(13:30)→蝶ヶ岳ヒュッテ(14:00)・幕営槍ヶ岳の眺め 大天井岳付近から
 夜中、寒さで2度目が覚めた。外に温度計を出してみるとマイナス2℃を示している。この時期にこんなに冷えこむのはめったにない。もう、着込む物はないのでシュラフを頭からスッポリかぶり丸まった。少し暖かくなったような気がしてまた眠ってしまった。久しぶりの晴天なので出発前に大天井岳を往復した。
 山頂から眺める槍ヶ岳は眼前に迫り圧巻だ。前に西岳への尾根が横たわっているがこれもポイントになって槍ヶ岳の雄雄しさを引きたてている。でも、今朝の山頂は寒い。槍ヶ岳と北鎌尾根 大天井岳付近から幕営地に戻り常念岳に向かう。
 この道は多少の起伏があるが横通岳付近は巻路のほぼ水平道で歩調も軽やかだ。退屈しのぎに横通岳の山頂を踏む。
 常念小屋を経て常念岳へ。この登りでやっと汗が出てきた。山頂でしばらく休憩。ここからの展望はなんといっても槍ヶ岳だ。眼前を遮る物は何もない。天を突く槍ヶ岳を真ん中に右に北鎌尾根、左に穂高連峰を控え眺めているとヤジロベーを連想してしまった。振り返れば東大天井岳 横通岳付近から
 常念岳の長い下りを過ぎまた登り返すと蝶ヶ岳の山頂に着いた。山頂から穂高連峰のパノラマは天下一品だ。ここも山並の間に梓川があるだけで視界を邪魔するものは何もない。
 今夜は中秋の名月か東の空に丸い月が浮かんでいた。 

 

 雲湧く常念岳の登り

 

 

 


 

 

 

 13日(日) 晴
蝶ヶ岳ヒュッテ(5:40)→大滝山荘(6:50)→大滝槍見台(9:00)→徳本峠(10:55)発(12:00)→岩魚止小屋(13:35)・幕営
 朝、ヒュッテ前の高台で穂高連峰の日の出を見る。今朝は格別に紅く染まった。前穂高、奥穂高や北穂高岳そして槍ヶ岳の穂先が紅色に染まって行く。その光がだんだん下に降りてくる。実に神秘的な光景だ。しばらく見とれていると太陽に雲がかかりその光は消えてしまった。しばらく待ったがそれっきりだった。ザックを背にし大滝山に向かう。
 大滝山からの穂高連峰の眺めもなかなかだ。何よりこのルートは人通がなく靜だ。登山道は栂林の樹林の中で見晴らしがきかない。展望がきいたのは大滝見晴台と明神見晴台の2箇所だけだった。
 徳本峠に幕営を予定していたが上高地から登ってくるキャンパーの輩が多く狭いキャンプ地に人が多い、しばらく待ったが変わらない。あきらめて岩魚止小屋に下る。
 この川は岩魚が釣れそうだ。小屋の前に置いている水槽に20、30匹ほどの岩魚が泳いでいた。岩魚料理1匹、千円から3千円の値があった。高くて食えない。小屋に釣り客がいてビグの中をを見せてもらうと25センチぐらいのが4匹入っていた。

14日(月) 曇
岩魚止小屋(5:00)→二俣(7:00)→車止め(8:00)→車と出会う(9:00)
 今日は松本電鉄の新島々駅まで歩きだ。もしかすると都合がつけば車止めまでサポートに来ると久保田が言っていた。半分期待して下る。車止めを過ぎ1時間ほど歩くと向こうからパジェロが走ってくる。もしかして久保田か?車は私の側で止まる。やっぱり久保田さんだった。それに中を覗くともう一人、山岳会の同僚も同乗していた。
 おお!大助かり、だれ気味になっていた気分が一気に回復する。直ぐに乗せてもらう。途中で風呂に入り、今夜の食糧を買い出しし、私の車を取りに白沢堰堤に行き近くの広場で懇親会となった。

15日(火) 曇
 朝、ゆっくりの出発で帰路に着いた。

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6-2-(2)東鎌尾根を歩く(1994-8-11〜15)

常念岳〜大天井岳〜槍ヶ岳〜天狗原〜一ノ俣沢〜常念岳

槍ヶ岳を中心とした山歩きの計画を立てて今回はその東鎌尾根を歩く。このコースは北アルプスの中で最も人気のある表銀座コースの一部とガイドブックにありその名に引かれる。

 1994年8月11日(木) 晴
ヒエ平(6:45)→常念小屋(10:15)発(11:40)→大天井荘・幕営(14:00)→発(14:30)大天井岳往復(15:00)穂高連峰の眺め 常念岳付近から
 ヒエ平に車を置いてそこから登山口まで車道を15分ほど歩く。登山口には登山指導センターが仮設置されていて指導員が入山者をチェックし丁寧にアドバイスしていた。今回計画したルートの最大の難関個所である一ノ俣谷から常念小屋までの様子を尋ねると、「悪い」と言い、上部に倒木が多くて歩きづらいという。また、常念小屋でも「通行止めにしている」と言いそれ以上話してくれなかった。少しくらい状況を教えてくれてもいいのにと思った。だけど”通れな北穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳方面の眺め  い”とは言わなかったので、とにかく沢に入ってみて悪かったら引き返すことにしよう。
 常念小屋から登山道を進むと槍ヶ岳を筆頭に穂高連峰や周りの山並みの展望が良かったが東大天井岳に着いたころには雲が出始めてきた。
 天幕を張り終えてから大天井岳を往復した。カメラを持っていったが雲と霧で展望がきかず1枚も撮影できなかった。

 

 12日(金) 晴
キャンプ地(4:30)→大天井岳(4:40)発(5:30)→牛首展望台(6:30)→西岳小屋(9:00)→槍ヶ岳山荘・幕営(12:30)→発(14:00)槍ヶ岳山頂往復(15:00)双六岳方面の眺め 大天井岳付近から
 天幕を撤収し大天井岳の山頂で撮影開始。天候が良く待望の槍ヶ岳の朝焼けを撮影することができた。しかし、風が強く少しカメラがブレているようだ。とりあえず撮影が終わり西岳に向かう。
 大天井ヒュッテで縦走路を外れ牛首の展望台に行ってみる。見晴のいい所だ。槍ヶ岳の眺めがとてもいい。前に邪魔するものが何もない。また、剱岳や立山も良く見える。
 展望を楽しみ元に引き返さず踏跡があったのでその先を尾根伝いに進む。踏跡がだ槍ヶ岳 大天井岳付近からんだん細くなり行き詰まってしまった。そこで引き返せは良かったが強引にそこから縦走路に出ようとハイマツの藪に踏み込んだのが大失敗だった。ザックに付けたマットや三脚がハイマツに引っかかり進めない。悪戦苦闘し1時間もロスってしまった。
 ヒュッテ西岳の少し手前で西岳山頂に行くルートがあったので登って見る。槍ヶ岳の眺めが実にいい所だ。
 水俣乗越まではヒュッテ西岳からいやというほど長い下りだ。乗越からは槍沢及び天井沢へ下るルートがあった。但し、天井沢へのルートは細い。
 大槍ヒュッテ付近にくると明日行く予定の天狗平付近が良く見える。よい所のようだ。水も流れているようだし。雪渓もある。付け加えて天場があればもっといい。天狗平泊ができればベスト。ダメだったら下のキャンプ地に下ろう。そんなことを思い馳せながら登る。
 槍ヶ岳山荘のキャンプ地に幕営し、槍ヶ岳山頂に向かう。昨年登った北鎌尾根の記憶を思い出す。その尾根筋を眼で辿ってみと遥か下に単独の登行者が登ってくるのが目にはいってきた。懐かしくなり100mほどフリーハンドで下ってみた。
 天幕に戻り一息つく。夕方天幕前でビールを飲んでいると、3時過ぎに4,5人のパーテイが小屋泊まり風の装備で大喰岳の方に行った。この先は南岳にしか小屋がないからそこまで行く予定なのだろう。順調に進んで6時ころの到着か。いつも気になるのだがロートルパーティの行動が遅い時刻まで続く。まだ日暮れ前とはいえ気になる。

 13日(土) 晴
天幕撤収(5:00)→槍ヶ岳山頂往復・発(6:00)→天狗原(8:30)発(12:15)→槍沢キャンプ地(13:30)穂高連峰の稜線、左奥が前穂高岳 槍ヶ岳の穂先から
 今日は下界ではお盆だ。アルプスの山上はあまり関係ないみたい。山小屋の前は若いカップル、親子連れやロートルパーティでごった返している。本当に銀座並みだ。
 天幕撤収後、再び槍の穂先に登る。登山道が混雑し日の出には間に合わなかった。しかし、赤く染まった穂高連峰を撮影できた。
 キャンプ地に戻り中岳経由で天狗原に向かう。大喰岳の山頂は展望がいい。槍ヶ岳、奥穂高岳のいいフレミングができる。大喰岳と中岳の中間に小さなコルがあり長野県側に槍ヶ岳と槍沢の眺め 天狗ヶ原から2箇所ほど雪渓が残っている。また、中岳を下った所にも雪渓があり融雪水が流れている。テントスペースもあるが勿論ここは幕営禁止区域だ。
 天狗原は槍ヶ岳の展望所だ。天狗池から槍沢のお花畑を通しての槍ヶ岳の見晴は天下一品だ。天狗池の水を飲んでみたがぬるくてまずい。沢に向かって少し左側にそれた所に湧水がありこれは冷たくて美味かった。更にその奥に大きな岩がありその下がくびれていて一人くらいビバークできそう。しかし、ここも幕営禁止区域だ。
 幕営を天狗原でしたかったが禁止なので槍沢キャンプ地まで降りた。ここの槍沢には水は流れていない。20分ほど手前に流水があったのでそこまで戻って汲んでこようかと思案していたら、小屋の人が沢筋からパイプで水場を作ってくれた。大助かりだ。

 14日(日) 晴
キャンプ地(4:45)→一ノ俣出合(6:00)→2段の滝(6:30)→山田の滝(7:30)→常念小屋まであと1時間半の表示(9:30)→常念小屋(12:00)
 今日は今回の山行で最も難関な一ノ俣谷の遡行だ。出合には通行止めの張り紙とロープが張ってあった。ダメだったら引き返し槍沢を登り返して帰ろうと心を決め一ノ俣谷に入る。ルートは以外とはっきりしている、ポイントに目印もある。しかし、草の背丈が高い上に朝露でびっしょりだ。カッパの上下を着て進む。間もなく二段の滝が見えてきた。いい景観だ。この滝の上部に左岸に流れ落ちる沢がある、それに架かる橋が崩れて落ちている。沢幅の狭い所を岩にしがみついて渡ろうとしたが岩がハングしていてホールドがとれない。仕方なく元に引き返しこの岩を大きく高巻きする。次の難関は七段の滝だ。ルートからその様相は見えないがかなりの落差がありそうだ。左岸のヘツリをトラバースする。ルートははっきりしているがか左はスッパリ切れていてかなりの高度感だ。慎重に進む。行き詰まった所を左に下りるとそこが七段の滝の上部だった。ここから滝壷を見下ろすとヒョングリの滝のようにねじれた水流の滝で落差は数十mありそうだ。
 上流をみると、またこの流れに架かっている吊り橋が落ちていて使えない。滝の落ち口に近い所に沢幅の狭い所がある。ここを無意識にヒョイとザックを背負ったまま飛び越えてしまった。うまく飛び越えられたから良かったが後で大反省する。
 もし失敗したら早い水流に巻きこまれ滝壷まで落ちるところだった。良くみると落ちた吊り橋の上流には靴を脱いでズボンをたくし上げれば徒渉する所があった。こんなことは二度としないように気をつけよう。とりあえずホッとしたところで急に空腹に気付き腹こしらえをする。
 元気を取り戻し沢の右岸を進むと右手に山田の滝が出てきた。ちょっと撮影タイム。更に進むと右手に常念の滝がある。更に進み右岸の登山道が行き詰まった所を左岸に渡るとそこの大きな石に”常念小屋まで1時間半”とペンキで記されている。ここから谷が緩やかになり登山道も山腹を巻くようになり倒木が目立ってきた。しばらく進むと沢の源流に湧水がある。ここが常念小屋の水場で小屋までポンプで汲み上げているようだ。
 これで分かった。常念小屋でこのルートを訪ねた時、いい返事をしなかった訳が。水場に入らせたくなかったのだ。ここで3リットルの水をポリタンに詰め幕営地まで担ぎ上げた。小屋まで15分の登りだった。
 小屋でビールを買い今日の一ノ俣谷遡行無事成功にカンパイ!!

15日(月) 晴
キャンプ地(5:00)→ヒエ平
 西鎌尾根ならびに表銀座コースの一部の縦走と一ノ俣谷遡行を成し遂げルンルンで下山する。

 

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6-2-(3)北鎌尾根を攀じる(1993-7-26〜8/3)

湯俣温泉〜北鎌尾根〜槍ヶ岳〜双六岳〜水晶岳〜赤牛岳〜黒部ダム

念願の北鎌尾根を征覇した

 同行者:2名 サポート隊:2名

1993年7月26日(月
七倉車止め(5:30)発(6:30)→タクシー→高瀬ダム(6:40)→湯俣温泉(9:25)→吊り橋(12:10)→千天の出合・P2取り付き部(13:00)・幕営壊れた吊橋を渡る
 念願の北鎌尾根遡行山行の時がきた。メンバーに賛同をいただき、リーダーはS、双六岳から先の食糧補給のサポート隊に久保田、及びG各氏が協力してくれた。
 七倉の車止めから高瀬ダムまではタクシーを使う。料金は1,200円。ダムでブナ立て尾根への方向と分かれ湯俣温泉まで高瀬川沿いの道幅もある水平道を進む。
 湯俣温泉から川俣川に沿った登山道にはいる。吊り橋や岩壁のヘツリを進む。1ヶ所、ヘツリを乗り越すのにザイルで確保した。千天出合の手前に吊り橋があったが1本のワイヤーが切れていて敷板も外れている。川は水量も多く簡単には徒渉出来そうにない。でも、壊れた吊り橋はまだ2本のワイヤーが残っている。これを頼りに何とか渡りきる。
 P2取り付き部に平地が見つかったのでここで幕営。Sはくたびれたらしく夕食も取らず寝込んでしまった。

27日(火) 晴
P2取り付き部(5:40)→P5(11:00)→P7(11:40)→P7先のコル(13:00)・幕営
 夜中に何度か目を覚ます。天幕をポツポツと打つ音がする。どうも雨らしい。雨の北鎌尾根を攀じるのは辛い。明日は沈殿か。そんな思いが頭を過ぎる。あれこれ考えているうちにまた眠りに入った。またポッと目が覚める。ヘッドランプで時計を見ると「ヤッ」4時を回っている。今朝の起床予定は3時30分だ。Sに声をかける。「オッ、朝か」の声はするが起きる気配なし。外を気にすると相変わらずボツボツと天幕を打つ音がする。Sやっと起きだし天幕の入口を開け外の様子を覗く。「今日は天気がいいよ」と言う。そそくさに寝袋をかたづけストーブに火を着け外に出てみる。何のことはない。天幕を打っている音は木の葉から滴り落ちる水滴だった。朝食の準備を急ぐ。ラーメンが1人分、1/2袋だ。直ぐ出来上がる。
 天幕を撤収し出発する。最初から胸突き八丁で木の根だらけの急登だ。立ち木や岩角をつかみ攀じる。一汗かくとP2のコルの天場に着いた。そこを過ぎP3のピークに着くとやっと視界が開け素晴らしい展望だ。30分ほど休憩をとり見晴を楽しむ。
 その後、P4、P5、と続く。P6ピークでの展望がまたいい。天上沢の地形、針ノ木岳、三俣蓮華岳、黒岳への山並、いつまで見ていてもあきない。P7は高さがなくその奥にP8、P9がデンと高くそびえているので貧弱に見える。しかし、そのコルは今日の終着点の幕営予定地だ。

28日(水) 曇のち雨
P7のコル(5:20)→独標(7:50)→北鎌平(9:45)→槍ヶ岳山頂(11:20)発(11:30)→槍ヶ岳山荘幕営地(12:00)・幕営
 一晩中、風が天幕をあおる、バタバタ。3時30分に起床し外に出てみる。稜線に近いから沢からの吹き上げ風のようだ。でも、朝方には大分風は弱まってきている。西岳から赤岩の稜線は良く見えているが雲が多少多い。よし!、今日も行動が出きるぞ。
 5時20分に朝食を終え出発。P8付近にさしかかると風にまじり雨がポツポツ落ちてきた。ヤバイナー、独標付近までは雨は欲しくない。そう念じてみたがやはりダメ。P9あたりに来ると風雨となってしまった。
 独標山頂付近にツエルトが1張りある。そこを通過する時に中の若い2人パーティが顔を出して挨拶する。「槍ヶ岳まで行くのか」と聞いてきた。
 独標からは槍ヶ岳の全容が見えると聞いていたが、今は風雨でまるっきりダメ。これでは槍ヶ岳に挨拶のしようがない。あきらめて歩き出す。
 槍平までは殆ど針峰群の千丈沢側のトラバースで踏跡は以外とはっきりしているがガレた所など一部不明瞭な所もある。
 北鎌平から槍ヶ岳山頂までは稜線上の岩場にルートを取る。山頂直下3ピッチほど荷物も大きいのでザイルパートナーを組む。しかし、そんなに難しいグレードでもなかった。
 ついに槍ヶ岳山頂だ。念願の北鎌尾根を征覇出来た。「バンザイ!」。Sと握手を交わす。

29日(木) 晴晴れた槍平まで引き返し槍ヶ岳を仰ぎ見る
 朝、外に出ると昨日とは打って変わって快晴だ。今日はサポート隊の久保田、Gと双六小屋でランデブーの予定だ。しかし、このいい天気に今すぐここを去るのはもったいない気がした。昨日はあまり回りの景色を見られなかった。もう一度、槍平まで引き返し好天の北鎌尾根に再挑戦することにした。
 やはり、青空での岩壁登坂は最高だ。爽快ないい気分を満喫してBCに引き返して天幕を撤収し双六小屋に向かう。
 双六小屋到着12時40分。久保田、Gの両氏、樅沢岳まで迎に来ていて首を長くして待っていた。待ちくたびれたらしく、しっかりブーイングをもらってしまった。申し訳ない。
 その後は、酒と山の話しで夜遅くまで盛り上がる。


 

30日(金) 曇のち雨
双六小屋幕営地(5:40)→三俣蓮華岳(8:00)→雲ノ平キャンプ地(11:00)振り返り見すれば槍ヶ岳
 久保田は所用がるということで下山した。リーダーのS、サポート隊のGと私の3人パーティとなった。三俣蓮華岳付近から雲ゆきがおかしくなり雲ノ平キャンプ地に着くころには雷まじりの大雨となってしまった。雨の中、天幕を設営しなんとかほっとする。Sが作ったホットドックまがいを食って昼寝。

 

 

 

 

31日(土) 晴
BC(6:00)→高天原温泉まで散策日本最高所の露天風呂という高天原温泉
 今日は安息日だ。ゆっくり北アの2,000m付近の高地にある露天風呂、高天原温泉まで行き、今までの汗を洗い落した。

 

 

 

 

 

8月1日(日) 曇
雲ノ平キャンプ地(5:40)→水晶岳(8:40)→赤牛岳手前(10:40)・幕営
 今日は3,000m付近の稜線を赤牛岳手前までの行程だ。草原のそよ風を肌に受けて爽快な縦走と思っていたが生憎の曇りで視界なし、それにカッパを着ての歩きは期待外れだ。水場を確保するために時刻は早いが残雪の脇に幕営した。

2日(月) 曇
赤牛岳手前(4:40)→赤牛岳(5:10)→東沢出合(8:10)→渡舟場(9:35)船・発(10:20)→平の小屋(10:40)→黒部ダム駅(14:20)→扇沢駅→