3関東の山

3-1奥秩父

 雲取山〜甲武信ヶ岳〜金釜山 1989-5-24〜28

 1989年5月24日(水)
秩父鉄道・三峰口(8:16)・発(8:45)→バス・大輪(8:59)・発(950)→ロープウェイ・三峰山頂駅(10:00
三峰山頂駅(10:20)→前白岩(13:10)→雲取山荘(14:50)→雲取山・山頂往復
 かなり以前にこのコースを一度チャレンジしたことがあった。会社の勤務を終え仲間の運転する車で大輪のロープウェイ駅まで送ってもらったが最終時刻に間に合わなかった。有料道路も有ったが夜間は通行止めだという。しかたなくロープウェイの下から登山道を登る。キスリングを背負ってヘッドライトの明かりがたよりだ。、三峰神社の山門で寝た。目が覚めると雨が降っていて着ているものを濡らしてしまった。その先雲取山荘まで行ったが歩くのが嫌になり三条小屋泊まりで退却した経験がある。その二の舞いを踏むまいと準備は整えた。雲取山から金峰山方向に向かう
 縦走になるので交通は電車とバスを利用した。今回は順調にロープウェイの三峰山頂駅に着き雲取山荘に出発する。ウイークディなので登山道では人には会わない静かな山行だ。
 霧藻ヶ峰は展望のよい所だ。北方に両神山が見えその前に妙法ヶ岳が控えている。先に進む。前白岩で休憩を取る、少し雲があるが富士山が見え展望の良い所だ。林間のアップダウンの有る登山道を進むとまもなく雲取山荘が見えてきた。
 小屋で幕営の受付をし管理人と少し話す、30代後半の人だ。荷揚げは春に1度ヘリ輸送を使うがボッカが主だという。外では60歳ぐらいの人が伐採した木を背負い子につけ薪集めをしている、山荘の煙突から薪を燃やす煙がたなびいていて山小屋の風情を醸し出していた。また、山荘前には田部井重治の石碑があった。「山に登ることは 山に寝ることであり 山の水を飲むことでなければならない」そんな文言を思い出した。
 幕営後雲取山を往復する。富士山、甲武信ヶ岳、八ヶ岳、南アルプス山塊が見渡せる、しばらくその山望を楽しんだ。

25日(木)晴のち曇
雲取山荘(4:45)→ハゲ岩(8:00)→将監峠(10:10)→笠取山分岐(12:30)→笠取山(12:55)発(13:15)→笠取小屋(13:45
 雲取山で少し山望を楽しみ先に進む。稜線の南側についている栂林の登山道から時折南方の山並が見える。所々残雪の上を歩くようになってきた。飛竜山に差しかかる手前にクモイコザクラが赤い花を付け樹林の緑の中にコントラストがいい。将監峠は緑のジュウタンを敷き詰めたような一面のクマザサで覆われていた。時折風に揺れる音も長閑で昼寝でもしたい気分を誘う。何処かで鴬のさえずりも聞こえている。
 笠取小屋に行く手前に笠取山への分岐の道標が有る、小屋に行くと戻るようなコースなので分岐点にザックをデポし笠取山を往復する。山頂の展望は樹木も有りあまり良くない。でも、南側に丹沢山の山塊は良く見えた。下山し笠取小屋に行く。小屋は開放小屋になっていて今日はここに泊まる。夕方から雨になり夜になるとさらに雨足が強くなってきた。明日が心配だ。

26日(金)雨
笠取小屋(
5:00)→雁坂峠(7:25)→甲武信小屋(11:30
 朝、3時20分に起床。目が覚めると雨が小屋のトタン屋根を強く打っている。大降りのようだ。朝食を済ませ出発する。春山を楽しみながら進む
 雨の中を歩く、雁坂峠を越え破風山に差しかかるころから残雪が多くなり栂林の残雪の上を歩くようになった。夏道は雪の下で見えない。ルートを外さぬよう注意を払って進む。所々赤布が打っていて大助かりだ。残雪は甲武信小屋まで続いた。雨は相変わらず降っていて時折イナズマと雷が混じる最悪の天気だ。甲武信小屋の幕営地を利用しようと立ち寄ったがそこは沼のように水が溜まっている。どうしようかと思案し小屋に入るとストーブが暖かい。主人が休めというので少し世話になる。その内外に出るのがおっくうになり素泊まりする事にした。他に1人女性の客がいる。私は土間で自炊しながら酒を飲んでいるとチャーハンをサービスで出してくれた。
 夜になるとスライド上映も見せてくれた。甲武信ヶ岳付近や十文字小屋付近のシャクナゲが美しい。今夜は白の敷布のある布団だ。

27日(土)快晴
甲武信小屋(4:50)→甲武信ヶ岳→富士見(6:10)→国師岳(9:40)発(9:55)→大弛峠(10:25)→金峰山(12:30)・発(12:50)→大日小屋(14:20
 小屋泊まりでゆっくりふとんに寝て気分のいい寝覚めだ。外に出ると、昨日の雷雨はうそのように良く晴れている。小屋の前から熊谷の街が見え、荒川の川面が朝日にキラキラ輝いている。ザックを背に出発だ。甲武信ヶ岳山頂での360°の展望は素晴らしい。富士山、南ア、中央アや秩父連山を一望できる。甲武信ヶ岳を後にし、富士見を過ぎるとまた、森林の中の登山道となった。
 国師岳で展望が開け休憩を取る。腹ごしらえをしながらこの先のルートを確認する。土曜日だというのに甲武信小屋を出てから登山者と
1人も会っていない静かな所だ。
 大弛峠に下り朝日岳に登りかけると再び残雪の上を歩くようになった。しかし、今日は靴が乾いているので快適な歩きだ。
 金峰山の山頂には五丈岩という、そそり立った金字塔がある。登ってみたい気分になったがフリー登攀は危険そうなので止める。金峰山を後にし下る。右手にコンモリした裾野のなだらかな山が見える。地図を見ると小川山だ。行ってみたい気分になったが往復4時間では遠くて無理だ。
 大日小屋は無人小屋で新しく中もきれいになっている。誰もいない、1人占めで使えそうだ。夕方までまだ時間があるので先の小高い高見山(
2092m)に登ってみる。花崗岩のざらざらした岩場で歩きやすい。所々にフィックスザイルがあるが使うほどのことでもない、山頂まで行ってみた。
 夜になるとキャンプ場で大学生らしい男女が騒いでいるのが聞こええる、いつまで騒いでいるのか。晩酌を済ませ夢心地になる。

28日(日)(晴
大日小屋(4:50)→富士見平(5:25)→瑞墻山往復(6:40)・発(7:20)→富士見平(8:10)→みずかき荘(8:30)→増富ラジウム温泉(10:35)・バス発(12:10)→韮崎駅・発(13:17)→新宿駅→上野駅・発自宅へ瑞墻山から富士山方向を眺める
 富士見平にザックをデポし瑞墻山を往復する。今日も天気は良く山頂からの展望はハイライトだ。南に富士山がデンと座り日本一の姿を見せている。その右の西南西には南アの白峰三山、西北西には八ヶ岳連峰がその美しい姿を惜しげもなく見せている。名残惜しいが瑞墻山を後にする。下る途中、小学生の遠足だろう、100名ほどの列に出会う。通り過ごすのに避けて待つこと10分。元気な「こんにちは!」の挨拶の返事も終わり頃には辛くなる。八王子から来たといっていた。
 みずかき荘で増富温泉に行くバス停を尋ねるが分からないという。バスの便があるのも分からない。付近を探すがバス停は見つからない。分からないものを待っている訳にも行かず増富温泉まで歩くことにした。半分ほど歩いた所で下からマイクロバスが登ってきた。このバスらしい。でも、ここから引き返す訳にもいかずそのまま歩き続ける。温泉に着く少し手前で帰りのバスに追い越された。
 増富鉱泉の風呂に入り新宿駅経由で帰途についた。

 

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連邦3-2那須

 南月山〜茶臼岳〜三本槍ヶ岳〜大白森山〜二俣温泉 1990-11-11〜12

那須連峰の主脈縦走を計画し歩いた。

1990年11月11日(日)晴
 東芝那須保養所前(6:00)→黒尾谷山(8:05)→南月山(9:20)→茶臼山(10:50)→峰の茶屋(11:10)発(11:30)→三本槍岳(13:10)→坊主沼避難小屋(14:45)泊南月山から那須岳方向を眺める
 今朝は寒い。冬山と引けを取らない冷え込みだ。黒尾谷山で休憩する。寒暖計を見ると0からマイナス1℃を示していた。握り飯を食おうとザックから取り出すとなんと堅くなっている。凍ってしまったようだ。でも、かじって食ってみる。凍った餅を食っているようで何の味もない。食べ終わると腹の底から身体が冷えてきた感じで1段と寒さが増してきた。顎ががクガク震える。たまらずカッパを着て歩き出す。しばらく歩くと少しづつ暖かさが戻ってきた。
 南月山付近は木々の小枝に樹氷が付き白くなっている。そこに朝の光が射しキラキラ輝いている。立ち止まりその光景の変化に見とれた。
 茶臼岳の山頂は霧と噴煙で見え隠れしていた。山頂に立つと今日これから向かう朝日岳やその先の稜線が見える。山頂を下り峠の茶に向かう。
 峰の茶屋から朝日岳に行く所で風が強くて吹き飛ばされそうになり慌てて引き返す。どうもここは風の通り道らしい。改めて進む方向を見定めベルトを引き締め背を低くして再トライ。やっと通過できた。風邪の強い部分はほんの10
mぐらいの区間だった。ナンテンの実も寒さで悴んでいる
 朝日岳を過ぎ清水平付近から積雪が出てきて雪上歩行となた。目の前に白く雪化粧した三本槍ヶ岳の端正な姿が美しい。山頂にはシンボルの高い槍みたいのが見える。
 坊主沼避難小屋の前には沼がありいい所だ。背後の旭岳がひときわ目を引いた。

12日(日)晴
坊主沼避難小屋(
6:10)→甲子山分岐(7:30)→大白森山(9:00)→小白森山(10:30)→二俣温泉(12:00)・下山口
高原ホテル前(
13:40)バス→白川駅(14:22)発(15:07)東北本線→黒磯駅(15:34)発(15:40)バス→湯本一丁目→歩き→東芝那須保養所→帰宅
 
坊主沼避難小屋から大白森山までの道は良かったがその先はクマザサが生い茂って背丈を越す藪の茶臼岳は寒さと霧で山並みは見えないなかを掻き分けながら進む状態だった。しばらく進むと再びいい道と合流した。どうも甲子山分岐を曲がらず甲子山に行くのが正規の道だったようだ。
 二俣温泉で旅館に風呂をお願いする。¥
500。露天風呂が2つあったが1つは小さく、もう1つは湯がぬるい。内風呂に入れば良かったと反省。 

 

 

 

 

 

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3-3妙義山

妙義神社〜白雲岳〜相馬岳〜中ノ岳〜妙義神社 1991-12-8

1991年12月8日(日)曇のち雨
妙義神社((7:00)→大ノ字(7:30)→白雲岳(8:00)→相馬岳((9:00)→鷹もどし(9:50)→東岳(11:30)→中ノ岳→コル(12:00)第四石門(12:25)妙義中間道→妙義神社(14:30妙義神社から白雲岳に進む
 空に少し雲があるが見とおしはきく。妙義神社駐車場に車を置き神社の奥から登りはじめる。大ノ字の文字板を横に見て白雲岳に着く。
 ここからの展望は妙義の街が足下に一望できる。先に進む。痩せ尾根を進む登山道は歩きやすいが両側に木立があり見晴らしは悪い。
 相馬岳の登りは急だ。木の根につかまりながら登る。ここからの展望も良い。中ノ岳を過ぎると心配していた雨が落ちてきた。この下には鎖場もあり滑らないよう慎重に下る。
 第四石門でひと休みし妙義中間道を通って妙義神社の駐車場に戻った。

 

 

妙義山の山々も紅葉が見られる 

  

 

 

 

 

 

 

 

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3-4赤城山

駒ケ岳〜黒檜山〜鈴ヶ岳〜地蔵岳〜荒山〜鍋割山 1993-5-15〜16

1993年5月15日(土)晴
赤城山大洞(7:15)→駒ケ岳(8:00)→大ダルミ→黒桧山(8:35)→赤城山大洞下山(10:30
坂平駐車場(11:00)→鈴ヶ岳(12:10)→新坂平駐車場(13:05大沼の上部位置から地蔵岳付近を眺める
 赤城全山を登山しようと計画しその最初のトライ。黒桧山からの展望も捨てたものではない。西側を望めれば浅間山、そして右へ子持山、谷川連峰そして至仏山、燧岳が望めれる。
 地藏岳から見ると緑の木々に包まれた急峻な山に見えるが来て見ると山頂は大きな岩石が積み重なっているような所だった。

16(日)晴
大沼湖畔登山口(6:00)→地藏岳(6:30)発(7:30)→八丁峠(8:00)→長七郎山(8:20)→八丁峠(9:10)→軽井沢峠(9:35)→荒山(10:10)→荒山分岐(11:20)鍋割山(12:30)→鍋割山登山口(13:30)→林道→バス停14:10)→バス→大沼湖畔登山口大沼から新緑の眺め
 これは地藏岳から鍋割山への縦走になるのか1日の行程た。地藏岳からの展望も捨てがたい。浅間山、北アの槍ヶ岳らしい山影も見える、また横手山、砂流山、苗場山等見ていると山への思いが馳せる。ほぼ東には筑波山も確認できた。
 八丁峠を下り長七郎山に登ると上越の山並みの頂きが白く光っていて印象的だ。またその左には日光の山並も有る。
 また来た道を戻り軽井沢峠から荒山に登る。この登山道は狭く少し荒れている。でも登るのに支障があるほどでもない。荒山付近はまだ花らしい面影は見当たらない。
 荒山分岐に下り鍋割山に行く。鍋割山の上部は熊笹で覆われ牧歌的な雰囲気のするところだ。山頂から眺める前橋の街並みが印象的だ。

 

 荒山付近からツツジを眺める

 

 

 

 

 

 

 

 

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